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医療通訳者のメンタルヘルス

最近、「難しい手術」の術前・術後説明の医療通訳が続いている。また、病院へ来たときは元気だったのに急激な悪化で死地に赴くかたの家族への通訳、末期がん患者の通訳なども・・・

「難しい手術」の説明というのは、通訳者的にはとても訳しやすい。難しいことを医師も十分承知しているため、とても具体的に話をしてくれる。こういうことをする、こういうことをしたという明確な話とともに図を描きながら説明してくれることが多く、それを集中しながら訳すというのはそう快感すらある。その内容がどんなに過酷であってもである。それはなぜかと自分に問い返すと、医師、患者、通訳があたかもチームになったかのように互いに理解を深めようとするからではないかと思う。しかし、一方、そういう通訳の場合、その場で通訳をするだけではなく、手術に至るまでの患者の受診での通訳があったり、患者の家族の通訳をしたりすることで、患者のこれまでの人生を知る機会も多い。そのことが、通訳をすることに影響することはないが、通訳者の心の中には澱のようにたまるものがある。知らないうちに予後についても心配している自分がいるのである。また、本人が病院へ来た時には、命にかかわるようなものには思われず、言葉も交わしていたのに、急激に悪くなり、本人はもう話すこともできず、家族への告知といった通訳に進んでいくこともある。最後まで生きたいという気持ちを表現し続けて、この世を去っていく末期がん患者の通訳もある。このような場合も、通訳をすることには何ら影響はないが、通訳者の心の中には知らないうちに何かがたまっていく。

守秘義務でしばられている医療通訳者は、現場で何が起こったか、患者の情報、それに対して自分が思ったことを吐き出すところは、どこでもよいというわけにはいかない。

しかしながら、本人が気づかないうちに澱はたまっていくのである。私の所属している団体では、守秘義務を持った者同士のピアカウンセリングを行っている。そこでは、とめどなく涙を流すこともある。そういったことが、医療通訳を続けていく中では必要だと感じている。共感、共有できる仲間がいるというのは本当に心強いことである。

精神的に強くなれば良いという話ではなく、辛い時にはつらいと言え、精神的な健康を保てる医療通訳者が良いパフォーマンスを発揮できると私は思っている。(NAMI会員 ya