私は以前インターナショナルスクールでスクールナースをしていた時に医療英語に苦労し、のちに医療通訳の存在を知りました。また家族で数年海外生活をした時には、クリニックで日本人患者さんの通訳をする経験をしました。医療現場の通訳の専門性と必要性を痛感したことで、医療通訳の普及と同時に外国人診療に携われる医療者の育成を願うようになり、今は医療系専門学校で講師をしています。
医療倫理の安楽死や尊厳死といった重いテーマを取り扱う時に、私がよく使う言葉があります。それは「もし反対の立場だったらどうだろうね?」という問いかけです。延命、人工呼吸器、臓器提供の選択などを考える時、学生たちは意外にあっさりと「自分はこうする。迷わない」等と答えます。そんな時に、「じゃああなたがそれを言われる家族の側だったらどうだろうね」と問いかけると、学生たちは「えー?」と悩み始めます。「逆の立場だったら、いやかな」と意見を変える学生もいます。コミュニケーションのクラスでは、医療者役と患者役を入れ替えながらクレームのロールプレイを行います。逆の立場を経験することで、相手の気持ちを理解しようとする試みです。
医療現場で大切だと言われる「共感力」ですが、ジェラード・イーガン(注1)は「相手の心の世界に入って理解しその理解したことを相手に伝える」事を基本的共感と述べています。この「相手の心の世界に入る」には、自身の想像力をしっかり働かせなければなりません。「もし私があなただったら」今どんな気持ちなのだろう、と想像し続ける力が必要です。相手の立場に立つ、当たり前のように聞こえますが、これは学生のみならず私たちにとっても実際はそんなに簡単ではありません。
目の前にいる患者さんが、耳が遠い人だったら。目が悪い人だったら。足腰が弱くて体の痛い人だったら。不安を抱えてひとりぼっちで座っていたら。そして、言葉も文化も全く異なる国の人だったら。もちろん完璧に相手の状況を理解する事はできませんが、可能な限り相手の世界を知ろうとする姿勢の中に共感は芽生えると思います。
10代20代の若い人たちと話していると、多種多様な考え方や生き方に関してはとても寛容で柔軟な印象があります。ただ一方で、相手の考えに深く思いを寄せることや、相手の心に接近していこうとする姿勢は時に弱く感じます。「自己責任じゃないですか」「いいというならいいんじゃないですか」とあっさりと関係に決着をつけてしまう前に、立ち止まって「もし私があなただったら」と問うて欲しいのです。共感は最初から持っている特性ではなく、訓練により身に着けていく技術だと思っています。
共感のある世界は、相手のニーズに敏感に気が付く世界であり、力を貸そうとするやさしい世界です。医療者も医療通訳者も、このやさしい世界で患者さんを受け止められることができればと願いつつ、私自身も「もし私があなただったら」といつも問える人でありたいと思っています。 (NH)
(注1) ジェラード・イーガンはアメリカの心理学者、哲学者でロヨラ大学名誉教授。引用元:看護学生のための心理学第2版 (長田久雄編 医学書院 2016 P162)
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