医療通訳に関わり始めて早9年。過ぎてみればあっという間だった。通訳場面はひとつとして同じものはなく、忘れられないものばかりである。自分の思いを言葉で表現できない乳児もいれば、自分がかかったことがある病気でかつ年齢が近く思わず親近感を抱いてしまう女性、さらには検査結果が思いがけず厳しくすぐに入院の話題となったため状況を理解できず激しく動揺する患者さん・・・毎回色々な出会いがある。どんな患者さんなのかとドキドキしながらいつも病院に向かう。
医療通訳に携わるようになり分かったのは、病気の種類の多さである。医療通訳活動をしていなければ出会うことがなかった病気も多い。通訳機会の多い病気もあれば、頻度が少ない病気もある。何度か通訳をしたことがある病気であれば、準備にかかる時間も短くなり理解も深まり、患者さんが口にする質問まで予想できてしまう。診察で色々な話題が出てくることを想定して、出来る限り準備をして臨む。何度か担当した病気であっても、毎回必ず新たな発見があり、そして自分の通訳に関する反省点がある。初めて担当する病気であると緊張するが、準備の段階で得た知識を実際に医師が話すのを聞いた時は目の前の霧が急に晴れ、その病気の理解が自分の中に定着するのを感じる瞬間である。理解なしには決して通訳できないので、準備の必要性を感じている。
患者さんにとって良い通訳者とはどのような通訳者なのだろう。幸か不幸か海外滞在中に病院に行ったことがなく、通訳者を介して自分の病気や症状を医師に伝え診察を受ける経験もないため、想像するしかない。通訳者はまず外国語で話をきちんと聞いて正しく理解し、それを日本語で医師に伝える。そして、医師が日本語で行った説明を患者さんが理解できるように外国語で的確に伝える。これが実に難しい。患者さんは自分の質問に対する医師の回答で、通訳者が正しく理解し的確に通訳したのかが分かる。通訳者としては、ひと言ひと言を大切にして正しく理解して的確に訳していくしかない。患者さんが通訳に満足すれば、「ありがとう」と言われるだろうし、言葉以外でも様子や雰囲気で患者さんが通訳者の訳をどう思っているのかが分かる。
同じ患者さんに再会することはほとんどない。再会したとしても、診察内容は前回と同じことはなく、まさに一期一会である。通訳者にとって一患者であっても、患者さんにとって通訳者は自分の耳となり口となる、なくてはならない存在であることを忘れずにいたい。
医療通訳活動9年目を学校生活に当てはめれば義務教育最終学年に相当する。10年目以降は、自分で選択した道を進むことになる。どんな医療通訳者を目指したいのか、漠然とではあるがその姿は見えている。理想の姿に少しでも近づくためにも、毎回の通訳現場を大切にしていきたい。
M. F.
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