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日々これ勉強、医療通訳奮闘記

 私の医療通訳との出会いは、夫の海外駐在時代に、自分が歯科医師で医療知識があったため日本人駐在員やご家族が現地で病気になったときに、よく呼ばれて病院に同行したことでした。対応した内容は、一般的な風邪や五十肩から突然のくも膜下出血、異文化環境によるこころの変調まで内容は様々でした。当時医療通訳という概念もなければ、方法論的なものも知りませんでした。ただ、日本人患者あるいはご家族の不安が、ひしひしと伝わって来たことはいまでも強く覚えています。 

 

 日本に戻った翌年に社会参加と自身の経験を活かしたいという思いから活動の場を探し、約20年前、当時はまだ珍しい遠隔医療通訳を展開しようとしている会社の求人があり登録しました。「ユキビタス」という言葉はもう死語になっているかもしれませんが、システムとしては面接に通った登録者は自宅の電話を使って、病院など医療機関にいる患者と医療者間の通訳をする仕組みでした。いわゆる今の電話通訳です。しかし、当時はまだ通話アプリもiPadもなかったので、先駆的でしたが運用はされませんでした。 

 

 今日までに自治体の外国人相談窓口相談員兼通訳、NPOの登録ボランティアとしての医療通訳、病院所属の医療通訳兼コーディネーターなど経験してきました。もともと語学の専門ではない負い目もあり、自己流では限界を感じたことから、系統的に勉強しはじめ、実践研究にも参加するようになりました。勉強や実践を通していくつか気づいた自分の変化を記したいと思います。 

 

 まずは、通訳の正確さを担保する重要な技術の1つであるノートテーキングについての認識です。最初は、医療通訳は短い会話が中心なのでノートテーキングの必要性を感じなかったのですが、自分の通訳内容を後で客観的に見ると、毎回必ずといってもいいほど訳出漏れがありました。いろいろな研修でも、ノートテーキングについては強調されていますが、通訳の専門訓練を受けてこなかった私にとって一大難題でした。そこで考え出したのは、まずある長さの文章を読んで、ノートにキーワードを取り出し、キーワードとキーワードの関係性を示せるように位置配置や記号略語などでつなぎます。次にそのメモを見ながら、できるだけ元の文章にリライトします。今度はその文章を音読して録音し、聞きながら先と同じようにメモを取り、そのメモを見ながらリプロダクションします。これを繰り返すことによって、通訳のためのノートテーキングに慣れていきました。 

 

 つぎに、医療通訳の過程において、文化的な橋渡し役をどう実践して行くのかを考えました。最初のころは自分がネイティブであることの強みと勘違いし、自己判断で医師の話を省略したり、変えたりして、しかも堂々と「それは不必要な摩擦を避けるためだ」と正当化していました。しかし、実践を重ねるうちにそこには大きな落とし穴があることに気づきました。その落とし穴とは通訳者個人はすべての文化を知っている訳でもなければ、患者や医者のお腹の虫(寄生虫じゃないよ)でもありません。他人の意見を代弁することは通訳の原理原則に違反しています。文化の差異によるミスコミュニケーションが生じる恐れが予想できたときには、発話者に確認し、気付かせるのが医療通訳者の持てる責任です。それ以上でもそれ以下でもありません。 

 

 また、次のような事例もありました。医師が患者に「次回は血液検査します。ピロリ菌の検査もしましょう。」と言ったので、通訳して診察室を出たところ、患者は「ピロリ菌検査ってなに?」と通訳に聞いてきました。この通訳者は自分もピロリ菌の呼気検査をしたことがあり、他の患者で同じ検査のアテンドをしたことがあったことから、「呼気検査のことだ」と伝えました。ところが、この患者は採血のみで帰されました。次回受診の前に受付にピロリ菌検査を受けたかを聞かれ、「受けていない」と主張したため、危うくもう一度検査予約をする羽目になろうとしました。通訳を通してわけを聞いた医師は「血液検査でピロリ菌抗体をチェックすることができる」と説明してくれて、誤解が解けました。大きな事故ではないないにせよ、通訳の自己判断で医療の専門家でないのに答えてはいけないことを示した失敗例です。 

 

 そして最後にもう1つ、コミュニティ通訳と医療通訳の関係性についてです。私自身は医療通訳1本で生計が立てられたら嬉しいと思っていました。医療通訳をしている多く方もそうではないでしょうか。しかし残念ながら、ごく少数の病院雇用職員としてのコーディネーター兼通訳以外はそれを望めません。メジャー言語以外は、医療通訳の件数自体が多くないのも事実です。したがって実践の場を求めるなら、病院の通訳だけでなく、法律、行政、福祉、教育などの分野でも相談時の通訳もすることをお勧めします。コミュニティ通訳とは、地域生活の中で住民としての外国人を言語の面でホスト社会とつなぐ橋渡し役を担うことです。医療通訳との共通点も多く、例えば通訳の対象であるクライアント間の力や地位の差が大きいこと、文化による壁があること、業界の専門用語がある一方で生活に密着した表現も多いことが挙げられます。各分野に横断的に関わると、通訳時の理解力を助けるだけでなく、相談時の通訳として必要な「きく」能力も養えます。ここでいう「きく」とは「聴く=傾聴、聞く=内容を理解聞き入れる、訊く=確認のための補足質問」が含まれます1) 2)。 

 

 ボランティア団体に所属している医療通訳でも、通訳会社から派遣される医療通訳でも、病院雇用の職員通訳でも、実際に困っている患者のために何とかしようと奮闘努力しています。共通する目的は、誰でもいい医療を受ける権利を守ることであり誰でも自分の生命と健康に主体性が持てるよう保障することにあると信じております。 (MK)

 

引用文献: 

1) コミュニティ通訳研究11-12年度報告「シリーズ多言語・多文化協働実践研究」東京外国語大学

http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer_old/2013/03/_16.html

2)「多言語多文化―実践と研究 Vol.7 2015年12月」東京外国語大学http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer_old/img/pdf/rinrikouryou.pdf