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がんの告知に関して

(患者自身と家族の思いの中で)

 

18年も医療通訳をやっていると、忘れえない患者さんが何人もいる。それは、数年にわたって何度も担当している患者さんのこともあれば、1回だけの出会いである場合もある。

アジア系のその患者さんは、日本人男性の妻の母親だった。末期がんであり、具合が悪くなってある病院で入院治療をしていたのだが、どうしてもセカンドオピニオンを聞きたいと希望して、専門病院を娘と娘の夫とともに訪れることになったのだった。その専門病院は、患者さんが外国人の場合、家族が通訳をすることは認めていなかったので、医療通訳が依頼されることとなった。

通訳依頼者は患者さんの娘婿だった。彼が、義理の母の生活も支え、妻も義母も彼を頼っていることがうかがわれた。

通訳依頼をすることが決まったとき、彼は『義母には、本当のことは伝えてほしくない。もう助からないと思ったら、がっかりして生きていく意欲を失うと思う。これは家族みんなの思いだ。』と言っていたのだが、通訳依頼を受けるにあたり、私が所属する通訳団体からは、『医師の言うことを私たちはすべて訳さなければならないのでそのようなことはできない。その話を医師にしたければ、自分であらかじめ、通訳のいないところで話してほしい』と伝えて同意を得ていた。

当日、通訳がいないところで、医師とこの男性が日本語で話をする場面が来ることはなかった。家族全員が診察室に呼ばれ、患者さんも家族も通訳も一緒に入室した。

そこで初めて男性は義母にはわからない日本語で、医師に、『真実を伝えないでほしい』とお願いした。医師は、『そういうことはできませんよ。困りますね。』といわれて、セカンドオピニオン外来が始まった。

医療通訳者というものは、診察室に入ったらその中で行われている会話をすべて通訳しなければならないということを、私はよく理解していた。しかし、そのときは、通訳をすることができず、黙って座っていた。医師と男性の日本語のやり取りが終わってから通訳を開始し、すべて正確に通訳することを心がけた。

結局は、医師は、『放射線治療は今の健康状態では無理なので、入院していた病院に戻って、まず今の病状に対する治療を受けて、もう少し元気になって放射線治療が可能になったら戻ってきてください。』と患者さんに話した。

日本も昔は、患者さんにだけはがんの告知をせずにまず家族に話し、家族はそれを隠して過ごす…という文化であった。世界のいろいろな国で、今でもこのような文化が受け継がれているところもまだあると聞く。この患者さんは、もしこの時にがんの告知を受けたとしたら、どうだっただろうか? 家族が言うように、本当のことを聞いたらがっかりして治療の意欲も失ってしまっただろうか?それとも、最後の残された時間を、精いっぱい家族との貴重な時間として過ごし、死ぬまでにできることをやっておきたいと思っただろうか? この患者さんに真実を伝えるのは、通訳者としての私の義務であったのではないか?

がんの告知に関する通訳は、とにかく正確であることが一番大切だと思っている。ある時、『厳しいことを医師が話しているときにはそれをもっと柔らかく伝えようと思う』という医療通訳志望者がいることを知って、私は驚いた。ある医療通訳講座で受講者の一人が、『がんの告知の通訳に行くことになったら、できるだけがんという言葉を使わないで優しい言葉で言ってあげるんだ。』といわれた。これは間違っていると強く思った。今でもその思いは変わらない。 

人は、告知を受けて強くなる人もいる、弱くなる人もいる。それは、そのひとそれぞれの “resilience”(立ち直る力)であり人生である。苦しい治療を早くやめて家で家族との最後の貴重な時間を過ごそうと思う人もいるし、最後までつらい治療に立ち向かう人もいる。

これは、通訳が事実を変えて伝えることによって変わるものではなく、それとはまったく違った次元にある問題だ。通訳者にできることは、できるだけ正確に伝えることに尽きる。それをどのように受け止めるかは、その人次第、家族次第であり、通訳者が心配する問題ではないはずだ。

でも、今後、この時と同じ状況に遭遇することがあったら、私はいったいどうするだろうか? そんなことを思いながら、私は通訳を続けているのである。(MT