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患者の家族として感じたこと

 

 

対岸の火事だと思っていた新型コロナウィルスによる感染症の拡大で、あっという間に日常生活が一変しました。

みなさんは、いかがお過ごしでしょうか?

お正月に母が亡くなり、ブログの更新が今になり本当に申し訳ありません。

 

どうしても書かずには前に進まないので、今回は、自分が「患者の家族」を体験した話を書きます。5年ほど前、母が検査で肺に影があると言われたといってから、随分と経つのに、なかなか検査をする様子がないので、診察に初めて同伴した時のことです。医師は、明るい、気さくな先生で話し上手でした。その中で母に「診断名がつくと、真剣に治療をしないといけないからつかない方がいいんだよねえ〜」と話しました。母も調子を合わせて「そうそう、がんでも治療はしませんから」と答えていたのを聞き、びっくりしました。初期にがんが見つかるのは、幸運なことだからです。でも放置しておけば進行して、治療の選択肢も減り、自由に生活できる時間も短くなります。その後、ぐずぐずとしているうちに腫瘍が大きくなり、先生は慌てて母が名前を挙げた大学病院に紹介状を書いたのでした。

 

 次にきた大学病院の分院は、腫瘍内科と外科が一緒に治療をしてくれる病院でした。そこで先生に「4期に進行しているので、手術はできないので化学療法のみを行う」ことを告げられ、母はびっくりしたのでした。私は母に「でも、治療しないんじゃないの?」と聞くと「そんなことはない、みんなのために頑張る」というのです。母は、理解力のある自立した女性でしたが、それでも命に関わる病の確定診断がつく恐怖から目を外らそうとしたのでしょう。こんなとき専門家である医師の役割は、患者の気持ちを汲み取り、立ち止まってしまった患者が前に踏み出すきっかけを作ってあげることなのではないでしょうか?

 

 最後の入院時、突然認知症のような症状が出ました。先生は「認知症」の一点張りです。認知症にしては進行がとても早いので、脳神経内科の先生に診断、アドバイスをもらいたいと何度かお願いをしました。入院当日に撮影したMRIを読影された脳神経内科の先生は「脳転移」と言われたそうです。しかし治療もないまま、話も食事もできなくなり、薬も飲み込めなくなり治療中断となりました。治療ができなくなる=医師の仕事おしまい、なのかと今でも疑問に思うのですが、家族とのカンファレンスも立ち話も2ヶ月間なかったのです。

 

 患者が自分で決めた主治医とはいえ、当たり外れがありすぎるのではないかと思いました。医師免許を持ち、専門医を標榜して、高度な技術も身につけていたとしてもそれだけでは足りません。相手は感情を持つ人間です。医師には、患者を思う気持ち、コミュニケーション能力も必要です。また、プロとして患者に最大限の治療やケアを提供する努力、Quality of Careを理解する必要もあるでしょう註)。資格は、もちろん大事です。でも今回の件で、資格だけではその人のトータルな能力は測れないことも改めて痛感しました。

 

コロナ禍により多くの地域では、対面通訳が中止になり電話通訳に切り替わっています。たとえ物理的に寄り添えなくても、少しでも患者さんの気持ちに添える通訳を目指したいものです。そのためにどうすればいいのか・・・? 分からないことだらけですが、電話通訳でもできること、対面通訳でしかできないことが、今後はっきりしてきそうです。NAMIは今年も、医療通訳と患者さんのために、できることを進めていきます。(N.M.)

 

 

 

註)WHO: What do we mean by Quality of Care? https://www.who.int/maternal_child_adolescent/topics/quality-of-care/definition/en/