· 

通訳の「勘」

 勘が鋭い、勘が鈍い、勘がいい、勘がさえる、勘が当たる、勘が働く、など「勘」という文字は、あまり科学的根拠がないような場合に使用されることが多いと思う。辞書を調べると「勘」とは物事のよしあしを直感的に感じ取り、判断する能力、とある。

ところが医療通訳の現場では、この「勘」がものを言うことがあるのだ。

 

 ある日の病棟での出来事。 

 先天的な酵素の欠如でミルクを定期的に与えなくてはならない赤ちゃんのアテンドをした。退院に向けて 経鼻栄養で赤ちゃんにミルクを与える方法を母親が学ぶに当たり、看護師からの説明を通訳する、という場面だった。まず細い、細いチューブを鼻から挿入し胃まで届くようにする。チューブにつけられたマークが頼りだ。それからミルクを注入するわけだが、少し注入したら母親は聴診器を赤ちゃんの胸に当ててその音を聴く。間違いなく胃に届いていたらこのような音がするはずだ、というそれを母親は会得しなければならない。

「もし間違った場所に入ったら誤嚥性肺炎を起こすかもしれないので充分注意してください。」

という看護師からの説明だった。 

ミルクを与える時間が来るたびに、看護師の見守る中、何回も練習を行ったが、それは、もちろん鼻からチューブを気道ではなく食道に通すのに慣れるためであった。また、間違えて気道に入ったら肺炎を起こす可能性があることを理解することも重要であった。 

ここで通訳しながらその母親の様子を見ていた通訳は、どうもこの母親は肺炎を理解していない様子であること、それが命に関わる病気と捉えていないことに気がついた。 

「はい、はい」と聞いている患者母親からはそれを伺わせるような発言はなかったのだが、これが「通訳の勘」だと思う。 

ちょっと聞いてみたら案の定、この母親は肺炎がどのような病気かを知らなかった。 

それが分かった通訳は看護師にその旨を説明し、医師から説明して頂けるように依頼した。 

医療現場で、患者に「分かりましたか?」と聞いて「はい、わかりました」と答える患者は多い。また、国によっては、医師の言うことに対して患者は決して異議を申し立てず「はい、分かりました」と言わなければならない文化がある、と聞いたこともある。

この「分かりました」が難しい、と思うのだが、通訳の中には、患者が「分かりました」と言っているのだからそれ以上何を言う必要があるのか、と言う人もいる。それはそれで間違いではないだろうが、もう一歩踏み込んだ対応が必要になることもあり、それが患者の理解を深めることにも、適切な医療につなげることにもなる。

この「勘」は何回も場数を踏んだ通訳者が、その豊富な経験値から、知らず知らずの内に身につけることが出来る種類のスキルではないだろうか。特に評価されることはないかもしれないが、昨今出回り始めている翻訳ツールがおそらくは習得できないであろうスキルとして、大切にしたいと思っている。

ちなみにこの患者は同じ通訳が次にアテンドした時に「肺炎って知ってる?とても怖い病気なんだよ」と教えてくれたのである。

 

 

どのような医療行為も科学的に裏付けされているはずだが、考えてみれば、血液検査時、針を刺す時も、まずは静脈の位置を大体探り当てた後、どのような角度で、どのくらい深く針を刺すのか、は「慣れ」と「勘」で培ったスキルで行っているように私には見えている。(Y.Y