母語と文化 ~手話通訳について知ったこと~

昨年から今年にかけて、なぜか手話通訳の研修の場で医療通訳についてお話しする機会が多く、我々外国語通訳と比較することでいろいろ気づかされた。

 

まずは、自分自身がいかに「ろう者」の皆さんの背景に無知だったかということ。そしてそれと同じくらい一般の人は、「外国人」の背景を知らないという事実。自分たちが当たり前と思っていることを当たり前と思わず、何事も粘り強くコミュニケーションしようとする姿勢、わかりやすい言葉で伝えていこうとする姿勢が、どんな場合も大切だと改めて感じた。

 

それはさておき、私が最近まで知らなかった「手話通訳の問題」について、少しお話ししたい。

手話には、主にろう者が使う「日本手話」と聴者が使う「日本語手話」があると聞いていたが、どれくらい違うのか見当もつかず、(結局“日本語”であることに変わりないのでしょ?)とか(最終的に筆談という手があるのでは?)などと思っていた。しかし、日本手話を教える国立障害者リハビリテーションセンター学院の生徒さんたちに聞いたところ、日本手話は、日本語とは語彙も文法体系も異なる「外国語」だとのこと。手話教室などで学んだ日本語手話(日本語を置き換えた対応手話)が手話だと思って入学した生徒さんは、ついていけずにやめる方もいるそうだ。

 

それほど違うのに、全国のいわゆる手話教室で教えられているのは、日本語(対応)手話なのだそうだ。2つの手話が違う言語だという認識が薄く、ろう者ネイティブの手話を間違っているとか、ろう者の理解が悪いと考える聴者通訳もいるそうである。

 

ろう者にとっての「母語」である日本手話とは?日本で生まれ育ったのに、なぜ日本語が母語ではないの?を、私なりに想像してみた。

 

一般的に我々は、耳と目を両方使って言語を獲得していく。だれかの話す言葉の“音”を聞き、自分で真似て発声しそれを自分の耳で確かめ、音がそのまま書き言葉になった文字を見て頭の中に定着させていくのではないかと思う。音のないところでどうやって言葉を覚え、それを紡いでメッセージを伝えたり理解していくのか、そこには違うプロセスや、物事の認識の仕方があるはず。最も自然でcomfortableなコミュニケーション方法として身に着いたもの、それが「母語」なのだろう。

 

付け焼刃の私にはとてもこれ以上話せないが、関心のある方は以下の資料をどうぞ。ろう者の方の「母語と文化」を少し身近に感じられるようになると思う。

 

「日本手話とろう文化-ろう者はストレンジャー」 木村晴美(生活書院)

「日本にあるもう1つの言語」 https://synodos.jp/education/12917

 

一般の日本人は、ろう者に独自の言語や独自の文化があるなどとまったく思ってないだろう。医療現場で「ことばと文化の橋渡し」役をつとめる手話通訳の皆さん、ご苦労が多いと思う。相手が外国人であれば、きっと文化が違うはずと誰もが思うだろうから、通訳者が文化的な仲介をする場合も、医療者は耳を傾けてくれるように思う。(yi)

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コメント: 1
  • #1

    Nka (月曜日, 08 7月 2019 12:50)

    手話が異なる言語であることは、以前から知っていましたが、手話通訳者の間で医療通訳が必要だと気付いていませんでした。医療通訳のフォーラムを開催したところ、手話通訳の方が参加してくださいました。彼女によると、手話通訳には医療通訳をする機会が非常に多いとのこと。自分たちで手話の医療通訳について学んできたが、医療通訳について学ぶ機会がないので、学習会(研修)があれば是非参加したいとのことでした。言われてみて、確かにそうだと気付きました!!