何も足さず、何も引かず、医療従事者と患者との間のコミュニケ―ションの橋渡しをする、通訳は自分の意見を述べてはならない、などなど、現場では自分の存在を半ば消して役割を果たす。それが医療通訳者である、と教えられます。
しかしそうは言っても医療通訳者も人間。色々な思いから通訳だけに徹することが簡単でないこともあります。
ある日の診察室で。患者さんはとても元気そうに見えました。通訳付きは初めてで、前回は何を言われているのかよくわからなかった、とのことでした。
診察室に入って座るか座らないうちに医師はこう説明を始めました。「これがこないだ撮ったCTの画像です。ここに白い影があるでしょう?この部分に空気が入っていれば黒く写るはずです。嫌なことを言うようですが、この白い影は癌です。」といきなりの告知でした。あまりに唐突で戸惑った通訳は思わず「先生、それは初めての告知ですか?」と聞いてしまいました。通訳は自分の意見を言ってはいけないのに。昔と違って癌は不治の病ではなく、隠す必要はなく、患者本人に直接病名を告げて共に治療を進めて行くのが現在のやり方です。しかし、そうは言っても癌はやはり簡単な病気ではなく、また国や地域によっては本人に告げないという慣習のところもあります。果たしてそのまま訳していいのか、という迷いもありましたし、また、告知を受けた患者がどのような反応を示すにしても、それを冷静に通訳する必要があり、それなりの心構えが必要だと感じました。正直に言えば通訳として冷静でいられるよう、心の準備のために少し時間稼ぎしたかったのです。医師の「そうです」という言葉の後、一呼吸置いて覚悟を決め、通訳しました。癌と聞くとやはり誰でも少なからず衝撃を受けるのは当然だと思います。しかし、その後の展開は私の想像を裏切るものでした。
医師は「こことここが腫れている、転移しているかもしれず、確定診断のためさらなる検査が必要である」と。続いてその検査の実施方法、合併症の説明、そしてその検査をしても100%の確定は出来ないかもしれない。かなり苦しい検査であるので言葉の通じる母国で実施した方がいいかもしれないという提案がなされました。結局、患者さんは母国での検査を希望され、当院での検査データを後日取りに来ることになりました。告知の瞬間、患者ご夫妻に衝撃が走るという風でもなかったので、ちゃんと伝わったのかな、と若干心配になりました。ごく軽い病気だという認識でいらっしゃいましたので。「後何年生きられるのか?」という質問が出たところでああ、事実を受け止められたのだな、と思いました。
診察室を出たところで「ショックだったでしょう?」と聞くと「NO! 人間はいつか死ぬのです。神がすべてを決めます。私はそれを受け入れます。」と笑顔でおっしゃられました。宗教を持たない私には理解しがたくもあり、羨ましくもある心の持ちよう。
母国で無事検査を終えられ、適切な治療を受けて健康を取り戻され、大好きな日本に戻ってまたお仕事が続けられますように、と願うのみでした。 (Y・Y)
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Yoshi ★ (日曜日, 16 12月 2018 21:30)
Y・Y さん、とても戸惑い、通訳としても辛かったとお察しします。私は、医師とは違う医療従事者です。患者さん本人または、医療機関にもよると思いますが、外国人だと、やはりお国の風習で「癌」の告知は如何なのでしょうか?
日本だと、今は告知してこれから残された家族と有意義な時間を大事にする方が増えてきていると思います。
Y.y (月曜日, 14 1月 2019 14:31)
コメントありがとうございます。
癌告知に関しては3,40年前の日本で行われていたような取り扱いをしている国もあるようです。そのような国の出身者への告知に際し、「癌」ではなく、「悪性腫瘍」と言ってほしい、という要望が会社の方から出されたこともありました。出身国の慣習と日本におけるそれが異なると治療に差し障るので難しいところです。日本で治療を受けるなら日本のやり方に従わざるをえないと思いますが、そのような合意に達するまでの粘り強い説得が展開されることもあり、通訳の必要性が発揮されるところだと思います。