医療通訳という存在を知ってから、早いもので6年を迎えようとしています。県の医療通訳ボランティアを経て、医療事務、病院事務職へと立場は変わりましたが、医療通訳をライフワークとしていきたいという気持ちに変わりはありません。
私は、医療通訳として、二度のターニングポイントがあったと思っています。一度目は、県の医療通訳ボランティアとして派遣されていた頃、末期の胆管がん患者さんの通訳に呼ばれた時のことです。翌日早朝に退院して帰国の途につく患者さんのご家族へ、病状説明、画像を用いての診断疾患名の変更説明、今後の治療方針、麻薬の国外持ち出し手続きや帰国手配まで説明するというものでした。医療スタッフとも、患者さんご家族とも初対面の中、予習の必要性と効果を痛感しながら、文字通り冷や汗を流しつつ必死で対応したのを、今でも忘れることはできません。
二度目の転機は、偶然にも、勤務先の病院で医療通訳として医療チームに加わることになった時のことです。勤務先に医療通訳というポストはありませんが、やむを得ない事情で、定期的な薬の服用と受診が必要な患者さんに、2度の入院と外来の長期に渡って関わった事例でした。患者さんとの関わりが密になる分、医療における多文化対応に直面して戸惑い、チーム内で頭を悩ませたことも少なくありません。私個人も,医療通訳として関わるのか,病院職員として関わるのか、患者さんとの関わり方に迷って、チーム内や医療通訳の大先輩に相談することもありました。そのような中で、私が常に意識していたのは、自分単独で患者さんの対応をしないことでした。医療通訳は単独では成り立たない、話者がいて始めて必要となる存在です。常に他のチーム員と一緒に対応をし、本来の医療事務職員として対応をしなくてはならない時には、ソーシャルワーカーに同席してもらうことで、自分自身はもちろん、患者さんもチームメンバーも“医療通訳”との意識を持ちやすくなったのではないかと自負しています。そうして、医療通訳として、そこで話されたことを足さず、引かず、変えず、中立を守るよう心がけました。
『一期一会の医療通訳もあれば、チーム医療の一翼として患者さんに長く寄り添う医療通訳もある。』当たり前のことではありますが、そのどちらにも必要なのは、適切な医療の実践のための正確な通訳と、患者さんとのいい塩梅の距離感だと、これらの事例から教わりました。
二度目の事例が契機となって、今では、症例検討や医療通訳の必要性について学会発表の機会をいただくようになりました。病院職員が医療通訳の必要性を発信、医療通訳の在り方を提案するのは珍しいと、院内外で関心を寄せていただくことも増えてきています。医療通訳者と病院職員の両方の視点を持ったからこそ気付くこともあるはずとの思いで、日々業務や学習に臨んでいますが、まだまだ道半ば。迷った時にはターニングポイントを振り返って、果たすべき役割を考えながら一歩一歩進んでいきたいと思います。
(NAMI会員:M.A)
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