外国人医療において、一番の困難は言葉の問題だと思っていました。
だから、良質な医療通訳を配置することで
医療のアクセスを確保できると信じていたのです。
でも、最近、そうでないケースがあまりにも山積みなので
だんだんわからなくなってきました。
思えば、以前は闘う相手がはっきりしていました。
「闘う相手」が必ずしも悪いというのではなくて、
法律や制度や通訳というツールやそういうものを駆使すれば
相手と交渉したり解決したり、合意したりできたのです。
相手は、ブラック企業だったり、やくざまがいの派遣会社だったりもあったし、
労働基準監督署だったり、国保の窓口だったり、入国管理局だったりでした。
自分を通訳者という道具として最大限使うことで問題解決の糸口がみつかっていました。
医療現場でもそれに近い状態だったと感じます。
最近では、「言葉」の問題に、「貧困」がからみ
そして「家族」が絡んできます。
医療現場で、日本語ができないだけでなく、お金がないだけでなく、
母子が夫から捨てられる、親が子どもをネグレクトする、
認知機能が落ちて判断ができない、遺棄に近い状態もあります。
日本人の困難事例に、帰国という選択肢のない外国人が日本語という壁を抱えて立ち往生。
こうなってくると、医療にアクセスする機会以前の問題なのです。
外国人医療で通訳していると
そもそも病院にたどり着くまでが困難であるケースが少なくありません。
誰も悪くない。
患者の過去を批判することは、今やることではない。
だから、闘うべき敵が見えないのです。
(MEDINT便りより加筆修正)
(む)
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