スペイン語相談員として仕事をはじめて四半世紀。
青年海外協力隊員として3年間過ごしたパラグアイにはまり、帰りたくないと泣きながら日本に帰国したら、1990年の入管法改正で私が南米に行かなくても南米の人たちが日本に来てくれることになった。じゃあ、日本の中の「南米」にはまるのもいいかなあ・・・と軽い気持ちで相談員をはじめて、意外と面白くて今まで続いてきた。職場で「やめてやる~」は何度も叫んだことがあるけど、相談者が嫌いになったことは一度もない。
医療通訳の活動は阪神淡路大震災後、感染症や精神疾患、ストレスによる不定愁訴で相談者が病院に行かなければいけないけれど、言葉の問題でいけないことが何度もあって、私の下手なスペイン語で同行していく中で、これではまずいなあと思ったし、保険料は取られるのにいざ病院に行こうと思ったら言葉が通じなくて受診できないのはおかしいよと腹がたったから。目の前に病院に行きたくても行けない人がいて、スペイン語ができるのに知らない顔はできないなら、「私が安心して医療通訳できる環境を作ってくれ~、いや作ろう」と思ったのが、この制度化に向けての原点だった気がする。あくまでも誰かのためでなく、自分のためだ。
医療通訳者として、医療通訳環境を整備することは、専門職のソーシャルアクションのひとつ。医療通訳者のことを「わかってくれない」と愚痴るのではなく「わかってもらう」仕組みを一緒に考えてみようと思う。
最初、まわりの医療者はみんな外国人の敵だと思っていた。でも、この活動を通じて、みんな困っているということがわかった気がする。じゃあ、患者や家族の意見はもちろんのこと、医師の意見、看護師の意見、行政の意見があるなら、通訳者の意見もちゃんと伝えておかなくては。だって、実際に動く通訳者にとって動きにくい制度なら、誰もやらないよね。特に優秀な通訳者は。だから、形は変わってもこれからもずっと「ストレスなく医療通訳させてくれ~」って言い続けるんだろうな。
でも、あの頃との違いは、全国に仲間がいることだと思う。
(む)
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