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春に思うこと

4年前のちょうど今頃、甥っ子をなくしました。大学受験が終わり、久しぶりに部活に顔を出し、心肺停止になり救急車で搬送されました。駆けつけた救急隊がAEDを使ってくださったおかげで、若い心臓は鼓動を取り戻しましたが、てんかんと思われて体育館に寝かされていた20分間に脳はダメージを受け、その後意識が戻ることはありませんでした。

 

生命を維持するために、様々な処置がめまぐるしく施され、その度に家族は呼ばれ、説明を受けるものの、それが死を意味するものなのか、救済なのか、一言も漏らすまいと息を潜めて、あるいは泣きながら先生の話に耳を傾ける毎日でした。

 

医師の話を聞き、どこまで治療を行うのか、成功の確率はどれくらいあるのか、今日「さよなら」を言わなくて済むのか・・・と狭い部屋に集められた家族全員が緊張しながら、医師の言葉に耳を傾け、決断をしなければなりません。

 

病院の処置は、完璧でした。でも日本語で聞いていても、治療方針をきちんと理解して、決断をする負担はとても大きいことが分かりました。先生の表情や言葉に一喜一憂しました。もし自分が日本語が全然わからなかったとしたら、どんなだろう、と想像してみました。

 

医療従事者がバタバタと走り回っていても、何が起きているか分からず、その説明を聞くことも理解することもできない。重症なのか軽症なのか、どのような治療なのか、家族ができることは何かあるのか、自分たちの声は本人に聞こえているのか、苦しくはないのかなど、聞きたいことはたくさんあるはずです。

 

通訳してもらえるのであれば、要約でなく、話した文章をそのままに語尾まできちんと丁寧に訳してもらいたい、「はい、お願いします。」と言ったのに「OK」とカジュアルに訳して欲しくないなど色々と浮かんできます。

 

通訳はメッセージを伝えればそれでいい、というものではありません。正確にメッセージを伝えるのは、実は最低限のことなのです。それ以外にも、ニュアンスを伝える、発せられた言葉と同じトーンの言葉を選ぶ、短い呼びかけもそのままに訳してもらいたいと私は思います。できるだけ通訳者の色がつかない、雰囲気が壊れない、通訳しているのにあたかも原発言をそのまま聞いているかのように伝えて欲しいと願います。

 

そのためには、普段から言葉にこだわること、通訳するときは、最後まで気を抜かない、状況に甘えない、文の最後まで丁寧に訳すなど研修を通して研鑽を積んでいかなければなりません。

 

今年、全国医療通訳者協会では、全50時間の「CHIP研修」を準備しました。医療とロールプレイを含む通訳練習をセットにした研修です。たくさん通訳練習ができるようなプログラムにしました。月に1回(土・日)、5ヶ月かけて東京で実施します。それ以外にも、単発ですが、ロールプレイ研修をまずは名古屋で527日に開催します。

 

練習の先に待っている人を心に思い描いてみてください。

 

どうぞ奮ってご参加ください。(nm)