私はいくつかの大学で非常勤講師として英語に関連する講義を担当しています。その中に、医療通訳者としての経験から声をかけていただいて担当している医学科2年生の医学英語という科目があります。私の仕事を医学生に知ってもらうために、毎年Stanford School of Medicineの『Working with Professional Interpreters』という動画を使っています。 https://www.youtube.com/watch?v=Uhzcl2JDi48...
私は以前インターナショナルスクールでスクールナースをしていた時に医療英語に苦労し、のちに医療通訳の存在を知りました。また家族で数年海外生活をした時には、クリニックで日本人患者さんの通訳をする経験をしました。医療現場の通訳の専門性と必要性を痛感したことで、医療通訳の普及と同時に外国人診療に携われる医療者の育成を願うようになり、今は医療系専門学校で講師をしています。 医療倫理の安楽死や尊厳死といった重いテーマを取り扱う時に、私がよく使う言葉があります。それは「もし反対の立場だったらどうだろうね?」という問いかけです。延命、人工呼吸器、臓器提供の選択などを考える時、学生たちは意外にあっさりと「自分はこうする。迷わない」等と答えます。そんな時に、「じゃああなたがそれを言われる家族の側だったらどうだろうね」と問いかけると、学生たちは「えー?」と悩み始めます。「逆の立場だったら、いやかな」と意見を変える学生もいます。コミュニケーションのクラスでは、医療者役と患者役を入れ替えながらクレームのロールプレイを行います。逆の立場を経験することで、相手の気持ちを理解しようとする試みです。 医療現場で大切だと言われる「共感力」ですが、ジェラード・イーガン(注1)は「相手の心の世界に入って理解しその理解したことを相手に伝える」事を基本的共感と述べています。この「相手の心の世界に入る」には、自身の想像力をしっかり働かせなければなりません。「もし私があなただったら」今どんな気持ちなのだろう、と想像し続ける力が必要です。相手の立場に立つ、当たり前のように聞こえますが、これは学生のみならず私たちにとっても実際はそんなに簡単ではありません。 目の前にいる患者さんが、耳が遠い人だったら。目が悪い人だったら。足腰が弱くて体の痛い人だったら。不安を抱えてひとりぼっちで座っていたら。そして、言葉も文化も全く異なる国の人だったら。もちろん完璧に相手の状況を理解する事はできませんが、可能な限り相手の世界を知ろうとする姿勢の中に共感は芽生えると思います。 10代20代の若い人たちと話していると、多種多様な考え方や生き方に関してはとても寛容で柔軟な印象があります。ただ一方で、相手の考えに深く思いを寄せることや、相手の心に接近していこうとする姿勢は時に弱く感じます。「自己責任じゃないですか」「いいというならいいんじゃないですか」とあっさりと関係に決着をつけてしまう前に、立ち止まって「もし私があなただったら」と問うて欲しいのです。共感は最初から持っている特性ではなく、訓練により身に着けていく技術だと思っています。 共感のある世界は、相手のニーズに敏感に気が付く世界であり、力を貸そうとするやさしい世界です。医療者も医療通訳者も、このやさしい世界で患者さんを受け止められることができればと願いつつ、私自身も「もし私があなただったら」といつも問える人でありたいと思っています。 (NH) (注1) ジェラード・イーガンはアメリカの心理学者、哲学者でロヨラ大学名誉教授。引用元:看護学生のための心理学第2版 (長田久雄編 医学書院 2016 P162)
変形性股関節症で4月に手術をしました。 硬さが気になり始めて十数年。痛みで椅子に座れない、寝ても、起きても痛む状態になり3年半。痛みが薄らぐ頃には、骨棘形成や筋力低下が進み、股関節可動域制限を代償運動で適応しようとします。股関節症は全身の骨格の歪み・筋力・気力・内臓の機能低下につながる。これが実感です。...
目の前で意味の分からない言葉で患者さんが話をしているという場面に居合わせたことはありますか。普段医療の現場で通訳をしている私たちにとっては、このような状況に置かれることはあまり多くないと思います。...
今日(2月25日) NAMIの定期総会が無事に終了しました。...
地域で医療通訳制度の普及活動を続けてきました。活動当初の記録を読み直し、続けることの難しさを感じています。日本の医療通訳制度普及が進まない話をするとき、同じ話が繰り返されます。...
病院へ行って医療通訳をする。通訳場面では、毎回、緊張感を持ち、何一つ言葉を落とすことなく、わかりやすい表現法で訳せるようにとつとめるのだが、通訳が終わっての帰り道、通訳場面を反芻していると、あそこは、こういう言いまわしの方が、わかりやすかったのではないか、単語はこちらの方が、よりよかったのではないかと、細かい部分でのオプションが頭を駆け巡る。20年近く、そんなことを繰り返している。 その人にとって最後の通訳になってしまったということも経験してきているが、さすがに、1年にそういうケースが4回あったときは、なんだか自分が「おくりびと」になってしまったような気がして、自分が通訳に行ってよいのだろうか・・と落ち込んだこともあった。死に至らないとしても残酷な告知をすることもある。通訳をしているその場では、家族や患者の思いを感じながら、平静に対応しているが、心の中には澱のようなものがたまっていく。 そんな医療通訳ではあるが、ふっと心が軽くなったり、とてもすっきりした気持ちで、満足感を得ることができたりということもある。 言葉に不安のある患者さんに、医療通訳者がつくことはごく当たり前のことであり、その患者さんにはいつも医療通訳者がついている病院で、ある日、診察室に入ると「来てくれたんですね!よかった」と医師に声をかけられた。なんだかふっと心が軽くなり、じんわりと温かいものがしみてきた。人間の心というものは複雑なので、毎回言われるとプレッシャーに変わることもあるのだろうが、知らず知らず、ちょっと心が疲れているとき、傷ついているときにこういう言葉を聞くといやされる。 また、お互いの言葉が足りないために、不信感を抱いて、治療がうまく進みそうにない時に医師や患者に、「正確に通訳するために確認したいのですが・・」と細かい部分を確認してから通訳していくことで、お互いに対する不信感が消えてうまくかみあったときなど、通訳をしている自分もすっきりし、満足できる。 医療通訳者は、あくまでも黒子であるべきと思いつつも、医療者、患者、医療通訳者の3者で成し遂げた感を感じることもある。 以前に比べると、研修もいろいろなところで行われ、優秀な医療通訳者も増えてきている。私は、優秀な医療通訳者にはいつまでたってもなれないとは思うが、これからも、準備は怠ることなく、地道に学習も続けていくことで、医療者や患者にも助けてもらいながらも安心してもらえる危なくない医療通訳者としてできる限り続けていきたいと思っている。(IY)
医療通訳に関わり始めて早9年。過ぎてみればあっという間だった。通訳場面はひとつとして同じものはなく、忘れられないものばかりである。自分の思いを言葉で表現できない乳児もいれば、自分がかかったことがある病気でかつ年齢が近く思わず親近感を抱いてしまう女性、さらには検査結果が思いがけず厳しくすぐに入院の話題となったため状況を理解できず激しく動揺する患者さん・・・毎回色々な出会いがある。どんな患者さんなのかとドキドキしながらいつも病院に向かう。 医療通訳に携わるようになり分かったのは、病気の種類の多さである。医療通訳活動をしていなければ出会うことがなかった病気も多い。通訳機会の多い病気もあれば、頻度が少ない病気もある。何度か通訳をしたことがある病気であれば、準備にかかる時間も短くなり理解も深まり、患者さんが口にする質問まで予想できてしまう。診察で色々な話題が出てくることを想定して、出来る限り準備をして臨む。何度か担当した病気であっても、毎回必ず新たな発見があり、そして自分の通訳に関する反省点がある。初めて担当する病気であると緊張するが、準備の段階で得た知識を実際に医師が話すのを聞いた時は目の前の霧が急に晴れ、その病気の理解が自分の中に定着するのを感じる瞬間である。理解なしには決して通訳できないので、準備の必要性を感じている。 患者さんにとって良い通訳者とはどのような通訳者なのだろう。幸か不幸か海外滞在中に病院に行ったことがなく、通訳者を介して自分の病気や症状を医師に伝え診察を受ける経験もないため、想像するしかない。通訳者はまず外国語で話をきちんと聞いて正しく理解し、それを日本語で医師に伝える。そして、医師が日本語で行った説明を患者さんが理解できるように外国語で的確に伝える。これが実に難しい。患者さんは自分の質問に対する医師の回答で、通訳者が正しく理解し的確に通訳したのかが分かる。通訳者としては、ひと言ひと言を大切にして正しく理解して的確に訳していくしかない。患者さんが通訳に満足すれば、「ありがとう」と言われるだろうし、言葉以外でも様子や雰囲気で患者さんが通訳者の訳をどう思っているのかが分かる。 同じ患者さんに再会することはほとんどない。再会したとしても、診察内容は前回と同じことはなく、まさに一期一会である。通訳者にとって一患者であっても、患者さんにとって通訳者は自分の耳となり口となる、なくてはならない存在であることを忘れずにいたい。 医療通訳活動9年目を学校生活に当てはめれば義務教育最終学年に相当する。10年目以降は、自分で選択した道を進むことになる。どんな医療通訳者を目指したいのか、漠然とではあるがその姿は見えている。理想の姿に少しでも近づくためにも、毎回の通訳現場を大切にしていきたい。 M. F.
COVID-19の第7波といわれる感染状況の中、医療通訳者の皆様は日々お忙しいことと思います。私は看護の専門学校でコミュニケーションなどを担当していますが、外国人診療の現場の声を聞きたくてNAMIの活動に時々関わらせていただいています。...
前回のブログで取り上げられていた「医療通訳者の七つ道具」のうちコロナ禍にあるか否かにかかわらず7番目に挙がっているのが、医療通訳者がつらい内容の通訳を忘れられる癒しグッズ・癒し時間です。今回はこの点について私自身が最近経験したことを共有したいと思います。...